床材による転倒骨折の予防効果を、どう確かめるか。Magic Shieldsと東京科学大学のエビデンス構築

インタビュー参加者

株式会社Magic Shields 取締役COO・理学療法士

杉浦 太紀

病院で約10年間、理学療法士として勤務した経験を持つ。Magic Shieldsの共同創業者として、転倒時の衝撃を吸収する床「ころやわ」の開発と普及に取り組み、本研究では社内のエンジニアと大学の研究者との間で、共同研究の実質的な推進を担った。

東京科学大学 医歯学総合研究科 整形外傷外科治療開発学講座 准教授

王 耀東

骨折などの外傷医療を専門とする整形外科医師として、国立大学病院で診療・教育・研究に取り組む。CTデータを用いた生体力学解析を、骨折の病態解明などに活用してきた。今回の共同研究では、床材を評価するためのモデルを構築し、解析と結果の解釈を担った。

転倒による骨折を防ぎたい。そのために開発した床材の価値を、医療・介護の現場にどう示すのか。株式会社Magic Shields(マジックシールズ)と東京科学大学(共同研究開始時は東京医科歯科大学)は、経済産業省のHealthcare Innovation Hub(InnoHub)を介して共同研究に取り組みました。患者のCTデータと床材の物性データを用い、床材の違いが転倒時の骨への衝撃にどう影響するかをシミュレーションし、その成果を国際学術誌に発表しています。

スタートアップがエビデンスを必要とするのは、どのようなときなのか。また、研究者と協力して何を確かめ、その結果を事業にどう生かしていくのか。今回は、Magic Shieldsの杉浦太紀さんと東京科学大学の王耀東先生に、共同研究の経緯と実践、検証の限界、限られた資金や時間の中での判断、InnoHubの役割と今後への期待について伺いました。なお、取材にはInnoHubアドバイザーである東京科学大学の山本浩平先生にも同席いただいています。

※本記事は、Healthcare Innovation Hub(InnoHub)を通じて実施された共同研究の事例として紹介するものです。
掲載内容は取材時点の情報に基づくものであり、経済産業省が特定の企業、製品、サービス等を推奨・保証するものではありません。

1.医療・介護の現場に届けるため、確かめたかったこと

骨折予防に取り組む企業と、外傷医療の研究者

– Magic Shieldsは、どのような課題に取り組んでいるのでしょうか?

杉浦 太紀|株式会社Magic Shields 取締役COO・理学療法士

杉浦:私たちは、高齢者の転倒による骨折を防ぐために、転んだときに柔らかくなる床「ころやわ」を開発しています。創業当初はまだ製品として成立しておらず、試作を重ねてきました。現在は床材というハードウェアを中心に、センシングの機能を加えるなど製品やサービスを広げながら取り組んでいます。

病院や介護施設だけでなく、購入して使ってくださっているご家庭もあります。マットのタイプに加えて、リフォームの際の床材としても使えるようになっています。

– 王先生は、普段どのような診療や研究に取り組んでいらっしゃいますか?

王 耀東|東京科学大学 医歯学総合研究科 整形外傷外科治療開発学講座 准教授

王:専門は外傷医療で、分かりやすく言うと、骨折などの怪我をされた方を診療しています。診療のみならず、外傷医療に関する教育や研究にも取り組んでいます。

高度な医療を実践し続けるには、後進を育てることも重要です。大学の教育では、将来、整形外科や外傷医療を専門にしない学生や研修医にも、その重要性を知ってもらい、外傷医療の裾野を広げていきたいと考えています。

製品の価値を伝えるために、医学的な根拠を求める

– 医学的なエビデンスが必要だと感じたのは、どのような場面でしたか?

杉浦:製品の価値として骨折の予防を目指している以上、触った感触だけでは説明できません。最初に取り組んだのは、模型に衝撃を加え、どのくらいの力がかかるかを調べる工学的な試験でした。

当時は、骨折に関する既存の医学論文で示されている力の大きさと、私たちが模型を使って測定した力のデータを組み合わせて、製品を説明していました。ただ、私たちが直接測っていたのは、生体そのものではなく、模型にどのような力が加わるかということだったんです。

その説明で導入いただけるところもあると思っていましたが、エビデンスがないとなかなか使うという判断には進んでいただけません。「こういうものがあります」と紹介しても導入には至らないことがあり、できるだけ早く医学的なエビデンスをつくりたいと考えていました。

一方、実際に病院や介護施設で使っていただき、そこから臨床データを出していくのも、かなりハードルが高いと感じていました。その手前の段階で、医学的な研究データを得たいと思っていたんです。

– 自社の検証に加えて、大学との共同研究に何を求めていましたか?

杉浦:代表の下村をはじめ、社内には工学の知見を持つエンジニアがいます。そうした知見を使い、工業試験場などでデータを取るところは、自社で進められる部分がありました。ただ、この製品で骨折の予防を説明しようとすれば、工学的なデータに加えて医学的な検証が必要になります。

私は理学療法士として臨床を経験してきましたが、それだけで自社に必要な医学的エビデンスを構築できるわけではありません。事業を進めていくには、どこかの大学の医師と共同研究をすることが必要になるだろうと創業当初から考えていました。

InnoHubを介して、研究方法と製品が結びついた

– 王先生との共同研究には、どのようにつながったのでしょうか?

杉浦:当時は試作品ができて、初めて病院や介護施設のお客様に最低限使っていただける状態になったところでした。同時に、さまざまなビジネスコンテストにも出場していたんです。その中で、ジャパン・ヘルスケアビジネスコンテスト2021(JHeC2021)のグランプリをいただきました。

コンテストに出る目的は一つではありません。資金調達のために投資家に知っていただくことも、お客様に知っていただくことも、提携できる協力会社を見つけることも考えていました。大学との共同研究先を探すことも、その一つでした。

ただ、共同研究先については、狙いどおりに見つかるとは限らないと思っていたので、王先生とご一緒できたのは、よい巡り合わせでしたね。実際の患者さんのCTデータを使って検証できると伺い、私たちが求めていたデータにつながると考え、迷わず取り組むことにしました。

王:私は経済産業省ヘルスケア産業課の勉強会で、高齢者の骨粗鬆症や脆弱性骨折、その治療と予防についてお話しする機会がありました。その際、患者さんごとのCTデータを使い、コンピューター上でシミュレーションする生体力学解析についても紹介しました。

その後、経済産業省から、InnoHubを通じてMagic Shieldsとお互いの取り組みや床材について話してみてはどうかと提案があり、話が進んでいきました。

– 王先生は、「ころやわ」にどのような可能性と課題を感じましたか?

王:最初はコロナ禍でオンラインでのお話でしたので、実物を見たり触ったりはしていませんでした。構造が変形して衝撃を吸収するというコンセプトは、とても面白いと思いました。

その後、実物を触ってみると構造が変形するのは面白いのですが、硬さも感じました。「これで本当に骨折を予防できるのだろうか。予防できるなら、確かにすごい」と思ったんです。だからこそ、実際に確かめてみたいなと思いました。

模型に重りなどをぶつけて、ほかの床材と同じくらい衝撃を吸収するというデータがあっても、それだけで実際に骨折を防ぐことができるかどうかまでは分かりません。かといって、実際に高齢者を「ころやわ」の上で転倒させて試すことはできません。効果がまだ分からない段階で「ころやわ」をフロア全体に敷き、敷いていないフロアと比較するにも、倫理面を含めて高いハードルがあります。

そこで、高齢者の生体データを使って検証する方法として、私が研究で使っていたCTデータによる生体力学解析が、この床材の検証にも使えるのではないかと考えました。

2.シミュレーションで示せたことと、残る検証課題

実際に骨折した患者さんのCTデータを基に、3つの床材を比較する

– 今回は、どのようなデータと方法で検証したのでしょうか?

王:大腿骨近位部骨折を受傷した患者さんの、骨折した側とは反対側の大腿骨のCTデータを使いました。右側を骨折した方であれば、左側の同じ部位のデータです。実際に骨粗鬆症による脆弱性骨折を、転倒によって受傷された高齢者のデータを使い、コンピューターの中にモデルをつくったわけです。

そのモデルで、後ろに倒れるように転倒したときの衝撃が、大腿骨、つまり太ももの骨にどのように作用するかを比較しました。実際の患者さんのデータを使っていますが、比較そのものはコンピューター上のシミュレーションです。

比較したのは、薄いビニル製の床材、厚みのあるスポンジマット、そして研究当時の「ころやわ」の3つです。有限要素解析という数値解析手法を用いて、骨と床材にかかる力や、変形を評価しました。

– 有限要素解析という手法を選んだのは、なぜですか?

王:もともと私が、患者さんのCTデータを使った有限要素解析を、骨折の病態を解明する研究などに使っていたことが前提にあります。解析のためのソフトウェアも保有しており、別の研究でも使っていたため、この研究のために新たに購入する必要はありませんでした。

患者さんのデータを使って床材の性能をシミュレーションしてみたいという企業側の希望と、私が持っていた手法が結びついたわけです。

杉浦:まず共同研究をすることを決めて、それから方法を探したというより、王先生の有限要素解析があったからこそ、「一緒にやりましょう」という話になったんです。

– 結果は、当初の予想と比べてどうでしたか?

王:解析を始める前は、「ころやわ」に期待した効果が実証されない可能性も考えていました。私自身は、薄いビニルの床材よりは衝撃を吸収するだろうけれど、厚みのあるスポンジマットほどではないかもしれないという印象だったんです。

ところが、学術誌で公開した条件でシミュレーションすると、骨に対する影響は「ころやわ」とスポンジマットでほぼ同等という結果になりました。衝撃吸収性については、それ以前にも工学的な試験が行われていましたが、今回は患者さんのCTデータからつくったモデルで、骨に対する影響を比較したところが違います。

この結果はまだ仮説として捉える必要がありますが、生体データを用いて、衝撃吸収床材による高齢者の転倒骨折予防の可能性を示せたことはよかったと思っています。

杉浦:病院や介護施設では、厚さが約4センチの柔らかいスポンジマットをベッドの横に置き、転倒・転落に備えることがあります。転落したときの怪我に備えられる一方で、その柔らかさゆえに、マットの上を歩いたり車椅子を使ったりしにくいんですね。スタッフが動くときにも、妨げになることがあります。

「ころやわ」は、その上を歩いたり、車椅子で移動したりできることも特徴です。その使いやすさに加えて、今回のシミュレーションでスポンジマットとほぼ同等の結果が得られたことは、お客様への説明に生かせると感じました。

研究の限界も、成果と一緒に伝える

– この研究で、まだ結論を出せないのはどのような点ですか?

王:繰り返しになりますが、今回の結果は、仮説にすぎません。コンピューターの中でモデルができ、解析結果が出たとしても、それだけで検証が完了するわけではありません。

モデルの確かさを確認するには、コンピューター上の結果と模型を使った試験の結果を照合し、矛盾がないかを検証する必要があります。その部分が不足していることが、研究の限界となっています。

また、この共同研究では、1人の患者さんのCTデータからモデルをつくりました。年齢や性別、身長、体格だけでなく、皮下脂肪の厚さや筋肉量、骨の強さも人によってさまざまです。

国内だけでなく海外でも社会実装を進めるうえでは、対象となる人の違いも考慮する必要があります。そのためには、モデルの条件を変えながら、シミュレーションを重ねていかなければならないと考えています。

– 今回は、どのような考え方で最初のモデルをつくったのでしょうか?

王:「ころやわ」は、構造が変形することで衝撃を吸収するというコンセプトの製品で、構造をつくる素材や大きさ、厚さなどは今後も変えることができます。

特定の仕様についてモデルの精度を上げて検証をしても、その後に素材や構造が変わる可能性があります。そうした製品の特性も考えて、まずはできるだけシンプルなモデルで仮説を示すことを優先しました。最終的な答えを出すということではなく、今後の発展を視野に、最初の仮説を出すというアプローチです。

3.異なる専門性を持ち寄り、研究を前に進める

企業が物性データを提供し、大学が解析する

– 共同研究を進めるうえで、大切だったことは何でしょうか?

杉浦:私たちの側では、非常に大きな問題があったというわけではありません。そのうえで大事だったのは、王先生、社内の工学系エンジニア、そして理学療法士として一定の医学的知識を持つ私の間で、何が必要かを共通の言葉で理解することでした。

王先生から「この研究をするために、こういうデータが必要です」と説明を受けたときに、社内のエンジニアがその意図を理解し、必要な物性データを出してくれたんです。

もし、担当したエンジニアに研究の意図を汲み取って対応する柔軟性がなかったら、苦労したかもしれません。当時の担当者がうまく対応してくれたことで、比較的スムーズに進んだと感じています。

王:床材の現物が手元にあっても、医学の研究者が、その物性を調べて解析に必要な工学的データをそろえるのは、かなりハードルが高いんです。モデルをつくるには物性データが必要なので、そこがそろわなければ、そもそもスタートできません。

今回はMagic Shieldsのエンジニアから、必要なデータを比較的速やかに提供していただけました。当初の取り決めどおりにデータがそろったことで、有限要素解析モデルの構築に取りかかるまでは、かなり速く進められたと思います。

共同研究を始める前には、各々の役割と、論文を公表するときの著者についても確認しました。共同研究契約に基づき、企業側から物性データを提供していただきました。一方で、モデルの作成からシミュレーション、結果の解釈までは大学側だけで行うことにしました。Magic Shieldsの方は研究成果を公表する論文の共著者には入らない、ということも最初に決めていました。

– 企業側で、共同研究を進めるための調整は難しくありませんでしたか?

杉浦:当時はまだ創業して間もない会社で、私自身も大学との共同研究の進め方を十分に分かっていたわけではありません。ただ、比較的柔軟に対応できる状況だったので、一緒に進めるうえで特別に手間がかかるようなことはありませんでした。工学的な試験をしていたので、製品の衝撃吸収性に対する自信もありましたね。

– 解析を進めるうえで、どのような難しさや、時間のかかる作業がありましたか?

王:それまで私が主に行っていたのは静解析でしたが、実際の転倒を考えるには、重さや速度や高さも関わります。床材による転倒骨折の予防効果を検証するには、動解析まで行う必要があると考えました。

もう一つは骨だけでなく、床材をモデル化する難しさです。「ころやわ」は、構造が変形することで衝撃を吸収する製品なので、その変形を含めてうまくモデルをつくれるのか、始めた段階では不安がありました。

実際に計算を始めると解析が最後まで終わらず、コンピューターの処理上、モデルが壊れて異常終了してしまうことがあったんです。

動解析は計算の負荷が大きく、さまざまな数値を入力して実行すると、一回の解析に早くても2〜3日、長いと1週間ほどかかりました。解析に用いていたノートパソコンのファンの音が止まって、「終わった」と思って開いてみると異常終了しており、また解析できなかったとなるわけです。そこには大変苦労しました。

共同研究契約を結んだのは2021年7月です。最終的には論文の基になるプログラムをつくることができましたが、もしモデル自体が成立せず、異常終了を繰り返すだけであれば成果がないまま共同研究が終わる可能性もありました。

また、プログラムができた後にも、やることがあります。不思議な床「ころやわ」を全く知らない工学研究者に研究内容を理解していただくための図や動画を作成し、論文の構成を整えていく作業にも時間がかかりました。

期待と違う結果も、製品改良につなげる

– 企業にとって不利な結果が出た場合については、どう考えていましたか?

王:共同研究契約を結ぶ段階から、「御社にとって不利なデータになったとしても公表します」とお伝えしていました。期待したほどの効果が見られないという結果もあり得ましたので、その前提で始めています。

杉浦:仮に効果がないという結果になっても、それを製品改良につなげればよいと考えていました。もちろん、その時点では販売しづらくなるだろうとは思っていたんです。ただ、研究に使っていた製品が最終形だとは全く考えていませんでした。

その後も改良していくのであれば、どのような結果でも会社にとって有益なデータになると考えていたので、不利な結果が出る可能性についても必要以上にネガティブに捉えてはいませんでした。

現在販売しているものも、研究当時の製品からさらに改良しています。どのような結果でも次に生かせると考えていましたが、今回は製品の価値を説明するうえでも有益なデータが得られたと受け止めています。

4.成果を伝える段階にも、研究者の視点が生きる

研究で示せた範囲を踏まえて、成果を伝える

– 共同研究の成果を製品の説明に使う際、どのようなことに気をつけていますか?

杉浦:広告やパンフレットに記載する言葉について、効果を過大に伝える表現がないか、弁護士に意見を聞きつつ、王先生からも助言をいただき、注意して選んでいます。

王:例えば「骨折の発生ゼロ」という表現を用いるには、きわめて慎重になる必要があります。「こういう条件で、この期間には発生しなかった」という補足があっても、そこだけが独り歩きすると見聞きする方を誤解させてしまう可能性があります。

すべての骨折を防げるわけではありませんので、対象や期間などの条件、実際の数値を含めて正直に示す必要があります。

今回の論文の結果から「骨折が発生しません」と書くことはできません。研究で示した範囲を超えず、結果を正確に伝えていただきたいとお願いしています。

– 現場では、どのようなデータが求められていますか?

杉浦:営業では看護師の方とお話しすることが多いのですが、王先生と取り組んだ研究などのデータをお見せするとともに、自社の実証で得たデータもお伝えしています。

看護師の方からは、「実際に病院で使ってどうだったのか」という、より現場に近い情報を求められることが多いんです。研究のデータがあることを前提にしつつ、実際の使用状況に近い話の方が、納得していただきやすいと感じています。

ただ、自社の実証で得たデータは、まだ論文にできるように整ったものではありません。今後は、製品を使う群と使わない群を比較するランダム化比較試験によって、転倒回数に対する骨折の発生率が減るかどうかを示したいと考えています。

検証のためのモデルを、次の設計にも生かす

– 研究者として得たものと、今後取り組みたいことを教えてください。

王:今回のような生体力学解析ができることを学会などで発表し、講演に呼んでいただく機会もあります。企業は共同研究の成果を製品の説明に使う一方、私たち研究者はこうした解析手法をアカデミアに伝えていくというスタンスです。共同研究の終了後も、それぞれの立場で成果を活用しながら良好な関係が続いている状況です。

今後は、このモデルを製品改良にも使えると考えています。後継品として素材や厚さなどを変えた試作品をつくる前に、モデルのデータを変えて計算し、どのような物性を目指せばよいかを検討できれば、改良にかかる費用や期間を大幅に抑えることにつながるはずです。

「ころやわ」に限らず、衝撃を吸収することで外傷を予防するというジャンルの各種製品の開発や、モデルチェンジにも活用できるのではないかと考えています。

今回は、すでにある製品を検証するところから参加しました。一方、最初から工学と医学の専門家がアイデアを持ち寄り、製品を開発する段階から関わることもできるのではないでしょうか。

私としては、製品を開発してお金を得ることよりも骨折の予防策が国内外で広く使われ、それによって社会的な課題が少しでも減っていくことを期待しています。

– 改良した製品での解析について、現在はどのように考えていますか?

杉浦:まだ具体的には決まっていません。改良した製品でも、今回と同じような解析をしたいという話は以前からしていて、私個人としても取り組みたい気持ちはあります。理想を言えば、どんどん進めていきたいですね。

ただ、スタートアップも資金に限りがありますので、会社として時間とお金を何に使うかを考えなければなりません。次の解析については、必要なタイミングを考えながら進めていくことになると思います。

5.エビデンスに、いつ、何のために投資するのか

利用者が判断するために必要な根拠を探る

– スタートアップは、どの段階でエビデンス構築に取り組むとよいのでしょうか?

杉浦:事業によって違うので、一概には言えないと思います。スタートアップとして資金調達をして事業を進めるなら、どのくらい資金が得られるか、その後の開発やマーケティング、営業にどのくらいお金がかかるかも考える必要があります。

その中で、エビデンス構築が、お金と時間の使い方の最優先になるとは限らないと感じています。エビデンスがあるだけで、次の資金調達の際に投資家が「それなら投資します」となるわけではありませんし、お客様や利用者の声も必要ですよね。

ですから、まずお客様に提案していくことが大切だと思っています。さまざまな方に提案する中で、導入していただける場合もあれば、「このエビデンスが足りないので、まだ導入を判断できない」と言われる場合もあります。

そうした声を聞いて、利用者がどのような根拠を求めているのかを確かめ、それに応じて検証に取り組んでいくんです。事業を続けていかなければならないスタートアップにとっては、そういう選択になるのではないかと感じています。

私たちは運よく早い段階で王先生やほかの大学の先生方と知り合い、研究を進めることができました。ただ、そうした出会いがなかったとして、自分たちの時間をすべて使い、大学の先生に一人ずつ当たっていったかというと、そこまではしなかったと思います。

実現したいことを持ちながら、実際に使う方の意見を聞くことが欠かせませんね。

– 医療現場で使う側の視点は、研究や成果の伝え方にどう生きましたか?

王:今回うまく結びついた理由の一つは、私たちがエビデンスを構築するアカデミアの側であると同時に、この製品を使う医療現場の側でもあったことだと思います。

利用者として、自分だったらどのようなことが示されれば導入を検討できるのか。どういう説明があれば、採用する可能性が高くなるのか。そうした視点が最初からありました。

例えば、今回の研究において、シミュレーション上は固定した大腿骨に向かって床材を動かし、衝撃や変形を解析しています。床材の性能を検証する工学的な実験では、上から床材を落とすモデルを使うことが一般的であり、工学者にとっては違和感がないようです。

一方、臨床の場面を思い浮かべると、患者さんが転んで床にぶつかります。そこで、私どもが公表した図や動画では天地を逆さまにし、大腿骨が床にぶつかる様子として見えるようにしています。その方が、医療者や一般の方にとって、転倒の場面をイメージしやすいと考えました。

異なる分野の人が関わる面白さは、こういうところにもあると感じています。

6.出会いを研究につなぎ、その先を支えるために

出会いを共同研究へ進める、InnoHubの橋渡し

– InnoHubを介した出会いは、共同研究を進めるうえでどのような支えになりましたか?

王:私自身、このように企業と共同研究を始めた経験は、それまでありませんでした。ただ、臨床をしていると、診療に用いるインプラントや検査機器などについて、いろいろなアイデアがおのずと生まれます。そこで、それに関係するメーカーや企業に話を持ちかけた経験は何度もありました。

日常的には大手企業との接点が多いのですが、例えば国内の担当部門までは話せても、海外の開発部門までアイデアを届けるにはハードルがあり、共同研究に至らないことも多々ありました。

学会の展示ブースで中小企業やスタートアップと出会い、面白いと思って名刺を交換することもあります。「一緒に研究してみたいですね」と話すところまでは進んでも、その場の出会いだけで実際の共同研究を成立させるのは難しいと感じていました。

仮に、私が学会で「ころやわ」を見て触っていたとしても、「シミュレーションすると面白そうですね」という話だけで終わっていたかもしれません。今回はInnoHubという窓口があり、そこを通じて進められたことが、お互いの安心感や推進力につながったと思います。

杉浦:私たちも学会に展示していると、医師や理学療法士、看護師の方から「研究をしているので、一緒に何かできたらいいですね」と声をかけていただくことがあります。ただ、そうしたやり取りは、その場で盛り上がって終わってしまうことが多かったんです。

今回は、InnoHubが関わっていることへの安心感がありました。日々の活動で、同じヘルスケア分野の創業間もない企業の方々ともお会いしますので、そうした方々にもInnoHubを活用していただけたらと感じています。

研究者からの相談と、研究を続けるための支援を

– 今後、InnoHubに期待することや提案はありますか?

王:私は、超高齢社会における脆弱性骨折の予防は、大学や企業だけでなく、国全体、さらには世界全体で取り組むべき社会課題だと考えています。行政機関が関わることで、取り組みが広がっていくことを期待しています。

まず、医療者にInnoHubの存在を知っていただきたいです。最近は学会などで講演する際、ヘルスケア産業課からいただいたスライドも使ってInnoHubを紹介しています。

すると初めて知ったという方が多く、講演が終わった後に「自分も相談していいですか」と聞きに来てくださる方がいます。知れば関心を持つ方は間違いなくいますので、さらに知っていただけるとよいと思います。

今回は企業側からの相談がきっかけでしたが、逆の流れもあると思います。大学の研究者に限らず医療者は、「この発想を何か形にしたい」と思うことがあります。医療の側からInnoHubに相談する流れも、十分に考えられるのではないでしょうか。

研究を進めるための支援にも期待しています。今回、私にはもともと解析用のソフトウェアがありましたし、コロナ禍で病院の診療体制が変わる中、研究に取り組む時間を確保できたという背景もありました。面白い研究に自ら取り組みたいと思ったときに、その時間を確保できたことは大きかったです。

将来的には、ヘルスケア産業課から社会課題の解決に向けたアイデアが示されたときに、InnoHubが「この課題に一緒に取り組む企業やアカデミアはいませんか」と公募する形も考えられるのではないでしょうか。

解決したい課題を起点に集まる形であれば、研究費などの支援も組み立てやすいのではないかと思います。そうした取り組みも、今後の可能性として期待しています。

杉浦:私たちが取り組んでいる転倒による骨折の対策も一つの研究だけで終わらせず、国全体で進めていくような動きにつながることを期待しています。社会課題を解決しようとする活動を広げていくうえで、InnoHubと一緒に取り組むことが生きてくるのではないかと考えています。

いきなり国全体の話にするのは難しいので、最近は自治体や市議会議員の方々にも「転倒による骨折の対策に、一緒に取り組めませんか」と働きかけています。そうした活動を続けながら、今後もより広い取り組みにしていければと思っています。

7.互いの専門性を持ち寄り、最初の一歩を踏み出す

遠慮しすぎず、アイデアを諦めずに持ち続ける

– これから共同研究や社会実装に取り組む方へ、伝えたいことをお願いします。

杉浦:ヘルスケア分野では、さまざまな製品でエビデンスが必要になります。そのときに、大学の先生との共同研究は、すごくハードルが高いと感じるかもしれません。もちろん難しさはありますが、大学側にも企業と取り組みたい研究があるんです。

医師と医療以外の分野の企業の人が話すときに、企業側が必要以上にへりくだってしまうこともあると感じています。自分たちを低く見すぎる必要はないのではないでしょうか。

王先生とは、とても対等にお話しできていてありがたく思っています。相手にとっても取り組みたい研究であれば、「一緒にやろう」という話になりますし、InnoHubのような接点があることで、コミュニケーションもしやすくなると思います。遠慮しすぎず、自信を持って相談していただきたいですね。

王:アイデアには壁も限界もなく、無限であると思っていますが、すべてを実現できるわけではありません。それでも、思いついたことは残しておいてほしいです。そのアイデアに合う企業や、それを必要とする社会的な課題があるはずです。

そもそも臨床の現場でアイデアが生まれるのは、そこに課題があるからですよね。すぐには形にならなくても、諦めずに心に留めておいてほしいです。私は、そのことがとても大切だと考えています。

【今回ご紹介した企業・団体】